夜学舎

太田明日香の本を出すレーベルです

『生活の批評誌』5周年集会に行ってきました

久しぶりに対面のイベントに行きました。

seikatsuhihyou.hatenablog.com
『生活の批評誌』というミニコミが創刊5周年を迎えた記念イベントです。
編集長の依田那美紀さんが、他に雑誌を一人で作っている2名のゲストを迎えてお話しするというものでした。

ゲストでいらっしゃったのは、普通に読める日本語の雑誌『トラべシア』の編集発行人の鈴木並木さん。

travesia.booth.pm


ウェブマガジン『Offshore』改めアジアを読む文芸誌『オフショア』編集発行人の山本佳奈子さん。

offshore-mcc.net
3人の共通点は一人でメディアを作っていること。
今回のお話もそれを軸に進んでいきました。

共通点としては、人とやるのが苦手というのと、
テーマが人と共有できると思えないということでした。
その一方でグループでやることへの憧れだったり、一人じゃない方がいいものができるのではという葛藤もあったそうです。
それを依田さんは「多様な視点がいい信仰」とおっしゃっていたのが印象的でした。

この話題で私が特に印象に残ったのは、山本さんの「調整は技術」という言葉でした。
編集は外から何をやっているのかわかりにくく、また言語化しにくいことをやっているため、「誰にでもできる」と言ってしまいがちですが、実はそうではない。
編集者は原稿依頼、進行管理、いただいた原稿へのフィードバック、どの順に並べるかなどの調整をしている。
そこには細やかな気遣いやコミュニケーション能力が必要とされる。
そのコミュニケーション能力というのは、世間の人がイメージするようなかノリ良く誰とでも喋れるというようなものではない。
例えばきちんとメールのやりとりができるとか、メールを読み書きできるような能力。あるいは、人によって電話がいいとか、ここは会って話した方がいいとか判断をつけられるような能力だというふうに言っていました。

私が非常に面白いと思ったのは、みなさんが「コミュニケーション能力」を「一人」で発揮するというやり方をしていることです。
私も人と一緒にわいわい一つのものを作るということに長らく憧れがあり、
試してみたりしましたが、どうしてもいつもうまくいかないので諦めました。
そして、人と一緒にできないことを「コミュニケーション能力」の欠如のように思っていました。
しかし、それは私が「コミュニケーション能力」という言葉を一面的にしか捉えていなかったからだと気づかされました。
「コミュニケーション能力」というのは、仲間を集めて巻き込んでみんなでわいわいやることだけを指すのではない。
また、発揮の仕方も人と何かを一緒にやることだけではなく、一人で何かを作るということも含むと気づきました。


私はこれまで自分の人と一緒にやることができない点を欠点と捉えていたり、
調整能力やメールの読み書きについても、
誰でもできるとかなり低くみつもっていたのですが、
今回のトークのおかげでセルフイメージを考え直すきっかけになり、
参加してよかったです。

もう一点興味深かったのは、これら雑誌をなんと呼ぶかです。
これら個人雑誌のことは、今のはやりの言葉で指せばZINE、
3人のスタイルはひとり出版社ということになるのかもしれません。
しかし両方とも当てはまらないと思いました。

ZINEと呼ぶには3人ともしっかりと作り込んでおり、販売を前提としている。
ZINEの定義も曖昧になっていますが、野中モモさんの『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る』では「個人が非営利で発行する自主的な出版物作った印刷物」というふうに、「非営利」は外せないと言えます。


また割と気軽に思いつきで作ることが推奨されていたりするので、「技術」を元に「有料」販売を前提としたこれら雑誌を「ZINE」と呼ぶのは当てはまらないと思います。

また、「ひとり出版社」は西山雅子さんの『"ひとり出版社"という働き方』によると、「ひとりで(あるいはかつてひとりで)出版社を立ち上げた」以上の定義はなさそうです。


3人ともひとりで作成していますが、あくまでもやりたいのは雑誌作りや、
自分が書き手となれる場を作ることなのかなと思いました。
それは、自分以外の書き手を探してきてその人の本を出すという
「ひとり出版社」ではないと言えるでしょう。

私自身も、「そんなに本を出したいならひとり出版社でもやればいいのに」と
言われたこともありましたが、いまいちふんぎりがつきませんでした。
よくよく考えてみると、自分の本は作りたいけど
人の本は作りたくないことに気づき、
別にひとり出版社はやらなくていいやと思いました。

最後に、なぜこのような個人雑誌がはやっているかについて、
山本さんか鈴木さんだったと思うのですが、
「器が少ない」というようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。
自主制作で本を作る人たちが増えてきたのは、DTPで作りやすくなった、
印刷費が安くなった、文フリや独立系書店などのマーケットができた、
さらにはネット通販で流通しやすくなった、
個人対象の小取次ができたなどのいろいろな要素が大きいでしょう。
昔は大人数で広告を取らないとやれなかったことも、
印刷費や流通コストが安くなったことで広告費を取らなくてもできるようになったため、個人でできるようになったという面はもちろんあると思います。

その一方で雑誌の数はどんどん減っています。

www.garbagenews.net

新しい書き手は雑誌から出てきていたけど、
そこがもうあんまり機能しなくなっている。
しかし、ネットがあるじゃないか。
確かにmixiはてなツイッター、noteなどから
昨今新しい書き手がどんどん登場してきています。
しかし、ネットで書くのと雑誌で書くのとは根本的に違うのではないか。

yagakusha.hatenablog.com

ネットが苦手、でも何か書きたい、作りたいというときに、
自分が書ける場としての雑誌を作ろうという発想になるのかもしれないと思いました。

自分が書き手や編集者として本を作ってみて思ったのは、本というのは一冊一冊が世界で、その一冊一冊のつながりや集まりが書物の世界を作っており、その中で多少の売れる売れない、知名度の大小の違いはあれど、一冊一冊が本の世界を豊かにしているということでした。

なんというか私は個人雑誌というのは、そういう本の世界に、我こそはと名乗りをあげて、率先して参画していくことで本の世界を耕していくような営みではないかと思いました。

dot.asahi.com

もちろんこのような、本は商品じゃなく文化だというような活動が本の世界を豊かにすると思いますし、その心意気も素晴らしいものがあると思います。

しかし、作り手として商品を作ってその商品によって本の世界に参画することも同じくらい尊いことだと私は思います。
比べるわけではありませんが、私は、個人雑誌というのは、自らの主張を雑誌という媒体を作ることを通じ、商品として本の世界に参画する一種の文化運動だというふうに捉えました。

みなさんのお話を聞いて、自分も作り続けることでこの文化運動の列に加われたらと、思いを新たにしました。


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