夜学舎

太田明日香の本を出すレーベルです

物づくり作家的に本を作る(試案)

この記事で、

もしかしたらわたしがしたいのは、生活とものづくりが一体となった民芸的な本作りなのかもしれません。

と書いた。

yagakusha.hatenablog.com

これをもう少し考えてみたい。

わたしは2018年に本を出してから方向性を迷走していた。
もともと編集者や商業ライターでやっていたのが、エッセイを出したことをきっかけにクライアントワーク以外の自己表現的なことをもっとやりたいと思うようになった。
それは一種のアイデンティティのゆらぎで、それまで編集者や商業ライターで満足していたのが、満足しない感じになっていた。
ある種創作欲や制作欲の目覚めだった。
だけど、自分はなかなか書籍企画を出したり、出せても通らないということが続き、2年ほどスランプ気味だった。

私の中でいろんな気持ちが絡み合って、どうすればいいかよくわからなくなっていた。
スランプ期のモヤモヤを整理するとこんな感じだ。

1つが、制作欲や創作欲が出てきて、それをどういうふうに解消するか

2つが、ライターや編集者というクライアントワーク的に見られる肩書と自分のやりたいことの不一致
3つが、自分の作家イメージ(筆一本で食べてないといけないとか、出版社から本を出さないとダメとか、定期的に出さないとダメとかもろもろ)と自分の実情があってないことに対するイライラ


最初1の制作欲や創作欲が出てくること自体が自分が勘違いしているのではないかと思って、それを否定しようとした。
するとどんどん苦しくなってしまって、そういうことじゃないんだと気づいた。

その次に2の今の肩書を脱するために作家とか文筆家と呼ばれるようにしないといけないと思い、そのためにプロフィールをいじったり、ブランディングを凝ったりしようとしたけど、このブログに書いたようにそれもそういうことじゃないなと思った。

yagakusha.hatenablog.com


3つ目の作家イメージについても、いろんな業界の話を知るうちに、
昔の景気のいい頃の話を基準にあてはめてたのでは? と気づいた。
それから、自分の書いてみたい雑誌とか憧れの雑誌の原稿料や、
他の作家の刷り部数等の話を聞いたりしていてると、
わたしだけが難しいわけじゃないっぽいなということに気づき始めた。
だから、そのかなりかなえるのが難しいことや現実と合ってない理想を今の自分にあてはめて凹むのは不健全だと気づいた。

そして、そもそも作家的な仕事だけでやってる人はクライアントワークをしてはいけないという意識を捨てることにした。

さらに、その上でどんなアウトプットの形が適切か考えることにした。
今年の夏に久しぶりに『B面の歌を聞け』という自主制作の手づくり雑誌を出し、
かなり手ごたえがかなりあった。
この制作と販売を通じて、自分のやりたかった方向性とはこういうことでは? とあるていど整理がついた。

現在、本というのは大量生産の複製物を薄利多売することによって商売が成り立っている。
印税は本の刷り部数✖️定価✖️10%のことが多い
(そうじゃない条件も多々あるがわかりやすくするため、単純化して話を進める)。
例えば、1000円の本を3000部出せば
1000円✖️3000部✖️10%=30万円だ。

しかし、同じ本を同じ値段で自分で作って売っても同じくらいの額になる。
しかも部数は300部でいい。
1000円✖️300部=30万円

もちろんこの場合製作費や郵送費、本屋に卸す卸値はもう少し安いので、実際に手元に残るお金はもう少し少なくなるわけだが。
それらを回収しようと思ったら500部くらい売ればいい。
3000部を一人で売るのはしんどいが、500部はなんとかなりそうだ。

出版社に企画を通すには、編集者と打ち合わせして、その上で企画会議にはかって、いろいろ調整があってと、たくさんの工程がある。
もちろんそれがあるから信頼できるものになるわけだが、そのせいで伝えたいことが薄まる可能性もある。

わたしの場合、企画はニッチすぎるとか、読者がいないのでは?
というパターンで通らないことが多かった。
3000部も売れないから企画が通らないすると、もっと届ける人数を小さくすればいいのではないかと気づいた。

また、自分が作りたいものが創作ではなく、生活についてのインタビュー、エッセイなどどちらかというと実用よりの内容ということもあって、編集さえ自分でできれば、
出版社を通さなくても作れる内容であることも大きかった。
おそらく、小説、翻訳、ノンフィクションやジャーナリズムの場合は、権利関係や賞を取ってないと売れにくいとか、裁判になったときのリスクを考えて出版社から出す必要があるだろう。

すると、わたしは無理に出版社から出さなくても、自分で作って製作費を回収できる規模で回していけばいいのでは? と気づいた。
もし余裕があれば、個人で編集者を雇い、自分の文章を編集してもらえば、内容についての担保もできるだろう。

そして、これ一本で生計を立てなくていいと思えば、無理に出版点数を増やさなくていい。
また、点数を抑えれば無理にいろんなところでフェアをやったり、営業したり、イベントをたくさんやる必要もない。
たとえば今、貸し棚で自分の本を売れる場所が増えてきている。
こういう場所を出版のたびに借りてイベントなりフェアをすればいいだろう。

ここまで考えてふと気づいた。
これは同じ作家でも、美術作家や物づくり作家のやり方ではないかと思ったのだ。
美術作家や物づくり作家というのは、作品ができたら、個展をやって展示をして見てもらったり買ってもらったりする。
その作品は一点ものに近くて、それを無理に量産したりすることはない。
そして、それだけで生活している人もいるけど、そうじゃない人も多く、
ものを見て作家として判断し、いちいちどのように生計を立てているかと関連づけて考える人は少ないだろう。

自分にとっては制作物が薄利多売の複製物である本という形をとっていたから、
これまでの物書きとしての作家イメージにひきずられていたけど、
自分のやってることが美術作家や物づくり作家に近いことなんだと気づいたら、
ものすごく腑に落ちた。

すると今まで自分が出版社との取引、知名度、大手書店とのコネ、作品数などがなくてダメだと思っていたが、物づくり作家方向で自分の採算の取れる範囲で作って売っていけばいいのだと気づいて今までの世界観がひっくり返った。

また、書店側にとってもこれは悪い話ではないと思った。
書店はいろいろ条件があるが仕入れの2割が本屋の取り分だということが多い。
でも、自分で作ったらそれをもっといい条件にすることもできる。
もしわたしが利益率もよくて売れるものが作れるとしたら、一人でも十分に大量生産薄利多売としての出版でやっている人たちと勝負ができるのではないかと思った。

では、わたしのこの活動をどのように名付けたらいいのだろうか?
正直zineは違うだろう。
なぜならzineは小部数、非営利ということが言われているからだ。
また、内容も手書きやそのまま殴り書きしたような勢いあるものが多い。
わたしはもうちょっと取材したり、文章も練ったりしたい。
じゃあひとり出版社だろうか。しかしひとり出版社というのは、人の本を作るから基本編集者だ。それに刷ってる部数も多い。

海外にはこのような小規模な出版物を指すのに、マイクロパブリッシングという言葉がある。
なのでわたしのやっていることはマイクロパブリッシングで、
自分の意識としては物づくり作家ということになるだろう。
しばらくこの方向性で自分の出版活動をやってみようと思う。

 

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