夜学舎

「書く」にまつわる日記

別に「楽しさ」で仕事してもよくない?

10年くらい前にミシマ社のサイトでやっていた、
ライターの堀香織さんの「セラピスト1年生」というエッセイがある。

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この連載は、2009年に38歳で急に大手出版社の業務委託契約を切られた堀さんが、マッサージのセラピストとして就職しようとした体験を書いたエッセイだ。

正直、連載当時に読んでいたときは、堀さんの生き方がすごく行き当たりばったりに見えて、38にもなって甘いんじゃないかとか、ちょっとイライラしながら読んでいた。
堀さんがフラフラしてるように見えたのは、多分世代差だと思う。
堀さんは10歳くらい上だが、それくらいの年代の人はまだ出版界が景気がよくて、
お金のいい仕事とか大きい仕事とかやってた世代だから、そういう感じでも生きていけたんだと思う。

それで、わたしは39歳になって、もう一回読んでみたらそんなにイラっとしなかったし、モヤッとしなかった。むしろ、その年から仕事と向き合う様子にグッときた。
語り口が深刻じゃないだけで、思ったよりお気楽な文章じゃなかったし、仕事が減ってきた危機感とか、人生これから何しようみたいな不安とかもちゃんと書かれていた。
この語り口が深刻じゃない感じが、自分が最初に読んだ30代のはじめには余裕に見えて、全然切羽詰まってなさそうに見えてイライラしたんだと思う。

読み返そうと思ったのは、堀さんが勤めていた店の店長に言われたセリフがずっと気になっていたからだ。
堀さんは業務委託契約を切られて、ライターや編集者をしながら、自分が趣味でやっていたマッサージを仕事にしようと、学校に行って働き始める。
ところが、結局本業のライターと編集者の仕事の両立がうまくいかなくなり、結局そのとき勤めていた店をやめることになる。
やめることを伝えたときに、その店の店長にこう言われる。

「ホリさんは自らを『こういう人間です』と自分を限定しているみたいで、それは結局世界が狭いし、成長がないと思う」
「ライターという仕事の何が魅力か? という問いに、書くことが純粋に楽しいという言葉が出たのは、私は悲しいです。仕事の意義は、個人の楽しみではなく、社会にどう貢献しているかという観点であってほしい」
 彼女の仕事に対する姿勢は素直に素晴らしいと思う。ただ、私はそういうふうには生きられないというだけだ。残念なことに。

 

わたしはこれを10年くらい前に読んだときは、店長と同じ気持ちだった。
なんか、本とか文章は社会をよくするために書いたり作ったりするもので、ライターとか編集者は裏方にいて、楽しいとかは二の次で、著者とかインタビュイーを立てて、陰になって働くものだと思っていた。
だから、堀さんが仕事をする理由の最初に「書くことが純粋に楽しい」が出てくるのに対して、なんとなくモヤッとしたのだった。

ところが、わたしは、特にここ1年か2年くらい、仕事に行き詰まっている。
編集の仕事は前は大好きだったのに、最近は全然面白くない。
原稿もらって読んでるときは楽しいけど、それ以外のプレッシャーが半端なさすぎて、
楽しいって思える部分がすごく少ない。
締め切りに間に合わしたりするとドーパミンが出て達成感が出てくるけど、それは吊り橋効果みたいなもんで、それに夢中になってその時間を味わっている「楽しい」という感覚とはちょっと違う。

じゃあ書くのはどうかと聞かれたら、それは辛いのと楽しいのと半々くらい。
取材は楽しいけど、書くのは結構大変だし、出たあとの反応も怖くて、プレッシャーも感じる。だから、それは純粋な「楽しい」とはちょっと違う。
結局仕事で、「楽しい」と「苦しい」とか「辛い」を考えると、2対8くらいの割合。
性格なのか、書く対象なのか、載せる媒体なのか、なんなのかわからないけど、わたしは堀さんの文章を読んで、自分はあんまり仕事が「好き」だけど、「楽しめて」はなかったんだなと思った。


今、わたしも堀さんと同じように、もう一つ仕事をしているけど、
そっちの仕事は天職とまではいかないけど、自分に向いてると思うし、割と楽しい。
でも同じ業界の人で堀さんの店長みたいに「楽しさ」だけじゃダメだと言う人もいる。

けど、最近そうかな? とか思ってきた。

別に「楽しさ」で仕事してもよくない?

例えばマッサージで堀さんがお客様を喜ばせられたり、読者とかインタビュイーとか出版社の人を喜ばせられて、それで記事もうまいこと仕上がって、堀さんも楽しいなら、オールハッピーで最高やし、それの何があかんのやろ?と思った。

思ったというか、思えるようになった。
というのも、結局自分は「辛いのが仕事」、「辛いからこそ仕事」みたいな考えに毒されて、それに苦しめられてきたような気がするからだ。


仕事にはいろんな側面がある。けど、なぜか「社会に貢献」とか「社会に役に立つ」だけが前面に出てくる。
でも人間だし、いっつも「役に立ってうれしい」「社会に貢献したい」と思って仕事してるわけじゃない。

金のためって思ったり、
能力が活かせて楽しいって思ったり、
一緒に働く人とかお客さんが面白いって思ったり、
だるいって思ったり、
いろいろ思いながらやっている。

その中には多少楽しいからやってるって気持ちもある。
なのに、それは仕事で思っちゃダメみたいになる。
か、逆に思い切り楽しまなきゃ損みたいになる。
そうなるのは、「仕事で楽しんだらダメ!」あるいは、「仕事だからこそ楽しまなきゃ!」という考え方があるからじゃないのか。
それは、仕事がほかの人間の活動よりも一段高いものとして扱われているからじゃないだろうか。

だから、「人間誰しも天職があって」とか「自分を活かして仕事しないといけない」感じになる。
そのせいで、向いてようが向いてなかろうが働かないと食べていけないから、それでお金もらえるならなんでもやったらいいはずなのに、それじゃダメな感じがする。
仕事にいろんな意味がくっついて、その意味の中で「社会に貢献」だけが大きな顔してる感じがする。
それで、仕事にくっついた意味の「金が欲しい」とか「楽しい」とかは原始的な欲求みたいにされて、「社会で仕事を通じて自己実現すること」が、さも世間の常識みたいになっている。
でも、みんなそんなふうに生きられるわけじゃない。

仕事なんか人間の活動の一部だ。
仕事以外に世の中に楽しいことも社会貢献できることも成長できることも山ほどある。
だから仕事と楽しいことや社会貢献や成長できることは一回切り離した方がいい。
そして、仕事と楽しいことや社会貢献や成長できることを切り離した上で、それでも仕事が楽しいとか、仕事で社会貢献したいとか仕事で成長したいなら、仕事を通じてやったらいいんじゃないか。

それをわざわざ、「仕事で成長すべき」とか、「仕事で社会貢献すべき」ってなるほうが、枠がちっちゃく視野が狭くなるような気がする。
仕事は成長とか社会貢献とか楽しいの目的じゃなくて、数ある社会貢献できることや成長できることや楽しいことのうちの手段の一つでしかない。

なんていうか、あんまり仕事に意味をつけたくない。
昔『働きマン』っていう、週刊誌の編集部を舞台にした漫画の主人公の編集者の女性が、
「あたしは仕事したなーって思って死にたい」って言ってた。

alu.jp



わたしはそうやって生きた方がいいんかなとか、編集者とかライターだったらそういう感じでやってった方がいいかなとか無意識に思ってたけど、やっぱそういうの、もういいや。

わたしは、「楽しかったらラッキー」くらいのノリで、もっと仕事と淡々と付き合いたい。


 

  


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