本は買いやすく、売りやすくなった
こないだツイッターでちょっとぼやいた。
今古本ってメルカリで売り買いするみたい。山下陽光さんがバイトやめる学校で、メルカリで売れって言ってたけど、愛と家事もすげー売ってる。800円台で売れてた。書店で買ってメルカリで売ったら200円くらいで読める。図書館遠方ならamazonで買ってメルカリで売って読んだ方がやすく読めるんちゃうか。
— 太田明日香@『愛と家事』創元社発売中 (@aitokaji) 2018年5月9日
昔に比べると、新刊も古本も、本当に買いやすく、売りやすくなったと思う。
特にメルカリで、古本の流通の仕方もちょっと変わったんじゃないかという気がする。
新刊を買うならネットショップもあるし、Kindleもある。
安く買いたいならブックオフだけでなく、ヤフオク、メルカリもある。
売るときは、メルカリだったらどれくらいの価格帯で売れるか検索すればすぐわかるし、
メルカリで売れなかったらブックオフなどに引き取ってもらえばいい。
本を買うのに躊躇する理由に、読んであんまりだったらもったいないとか、
家に本が増えて困るとか、処分がめんどうみたいな理由があったとする。
そしたら、本は売りやすくなったのだから、もっと新刊を買っていいんじゃないか?
などとわたしは思う。
図書館があるから売れない?
本は売りやすく、買いやすくなった時代だ。
でも、ときどきいろんな感想をチェックしてると、結構図書館のラベルが貼ってある本を見かける。
そういうときに、「あー図書館で借りたんや」と凹んでしまう気持ちがある。
今まであまりそういうことを思わなかったので、自分でもびっくりした。
もちろん、読んでよかったら買うつもりとか、
お金払うほどじゃないけど読みたいとか、家に置いとけないとか置きたくないとか、
いろいろ理由はあると思う。
結局、いくら買いやすく、売りやすくなったからって、お金も手間もかかるし操作も面倒だし、
時間がないという理由もあるだろう。
だから図書館の需要はなくならない。
でも、もやもやしてしまう。この気持ちはなんなんだろう。
それで思い出したのが、稲垣えみ子さんのコラム。
自分に講演頼んできた人の持ってた本が、図書館で借りた本だったのを批判した内容だった。
あなたが懸命に作ったものを当然のようにタダで持っていく人がいたらどう思いますか。自分にはそんなにも価値がないのかと傷つきませんか。いや借りたっていいんです。読んでいただいたことに感謝いたします。しかしやはり……。
この部分がひっかかる人多かったみたいで、図書館を批判するのかみたいな文脈で
結構批判されてた。
でも、わたし結構稲垣さんの気持ちもわかって。
講演を依頼するような人が図書館で借りてきたら、
やっぱりわたしも傷つくと思う。
「買うほどの本じゃない」って思われてる?って気持ちになると思う。
本には寿命がある
いい本だったら届くっていう考え方がある。
バズらないし、フォロワー少ないですが、ネットと本は違うし、普遍的な内容だと思うから地道に長く売ります。わたしがコツコツやればそのうちだれか必要な人に届くでしょう。
— 太田明日香@『愛と家事』創元社発売中 (@aitokaji) 2018年5月9日
こう書いたように、ネットと本は違うし、わたしも当然のように本の方が寿命長いって思ってた。
でも、自分で出してみて思ったけど、出したあとの本の寿命ってほんとに短い。
5年くらい前に『福祉施設発! こんなにかわいい雑貨本』て本を作った。
6000部くらい作ってほとんど在庫残ってない。
当時は結構話題になったし、こういう本にしては売れた方だと思う。
でも、今どこの書店行ってもほとんど置いてない。
カタログ本だし、情報がもう古いからしょうがないのかなとは思うけど。
でもそのときに、本の寿命ってほんとに短いなと思った。
3年、せいぜいもって5年。
すごい短くない???
本は永遠に残るんじゃない。寿命がある。
だから、いくらわたしがコツコツやればそのうちだれか必要な人に届くでしょう、
って思ったって、読んでくれる人がそういう本があるって知らないことには届かない。
本って出たときがいちばん新鮮で、そのあとどんどん鮮度が落ちる。
本屋では場所の取り合いだ。
毎日どんどん新しい本が出る。
ずっといい場所をキープするためには、
ずっと売れているとか、ずっと話題になっているとかしないといけない。
それが難しいと鮮度のあるうちに売り切るのが大事と思ってしまう。
だから、どうしても書店で売れることにこだわってしまう。
だから図書館を利用することにもやっとするのって、
自分の本は買うほどじゃないのかな?って自信がなくなる感じ
+
書店でいい場所をキープするのに売れないと
という気持ちでできているんだと思う。
でも、それは著者と本屋の都合で、読む人にとっては関係のないことだ。
図書館との共存はあるのか?
アメリカではこういう動きがあるそうだ。
これだと図書館と書店は共存できているように思える。
でも、日本だと、図書館員の地位が低い気がする。
アルバイトの人が多いし、誰でもできるみたいに思われがちだ。
図書館に入ったら本が残るわけじゃない。
いくら図書館で保存してくれるっていっても、
図書館だと本が古くなったら開架から書庫にいくし、
書庫に行ったら本の名前わからないと日の目を見ない。
さらに下手したら廃棄処分になる。
残るのは、古典になった本。
賞をとったとか、評論家に評価されたとか、誰かに引用されたとか、
文庫化されたとか、大学一年生が読むべき本みたいに紹介されたとか。
古典というのはずっと人の目にふれてる本。
そういうことができるのは、レファレンス能力のある図書館員の力によるところが大きいだろう。
だから、図書館が読者人口を増やすって考えに異論はない。
それに加えて、本をもっと余裕あるスパンで売れるなら、違うのかもしれない。
とりあえず読んでほしい
本心を言えば書店で新刊を買ってほしいけど、自分の本ばかり見ていると視野が狭くなる。
結局はいろんな人に、どんな場所でも、どんな手段でもいいから、
本を手にとってもらうことが大事なのかもしれない。
わたしは最近は直販がいちばんいいのかなと思っている。
やたらイベントばかりしているのも、そういう理由があってのことだ。
と思ったら、ミシマ社がそのまんまの名前のレーベルを作ったそうだ。
その「手売りブックス」のデザインを手がけてくださった名久井直子さん。先ほど、ミシマ社自由が丘オフィスにて、シールに手書きして、表紙に貼ってくださいました(僕もしました)。書店さんへのアドバイスとして、「大胆にカスタマイズしてください。全然違うシールなんかも貼ってください!」と。 pic.twitter.com/rZQ1bZhxl5
— 三島邦弘 (@mishimakunihiro) 2018年5月14日
どれくらい売れるか知りたい。
正直、これくらいの知名度のある出版社なら、会いたい人もたくさんいそう。
すぐ売れそうな気がするけど、どうなんだろう。
わたしも地域の古本市とかも行って売っているが、残念ながら全く知名度がないので、
いつも売り上げはさんざんだ。
でも、単にお金を稼ぐためではない。
知り合いを作り、買わなくても来た人に書名と著者をセットで覚えてもらうためだ。
なので、厚かましいと思いつつ、「わたしが書いた本です」と声をかけたり、見せたりしている。
「なんか自分で自分の本を売っている人がいた」と
記憶に刷り込むのが大事だと思うからだ。
わたしはずっと単著を出したかったので、
せっかく本を出せたのだから、
自分の書いた本を後世に遺したい。
そのために、自分で本の寿命を伸ばすために、
あれこれやっているという感じです。