夜学舎

太田明日香の本を出すレーベルです

エモと情報の按分 1)インプット編

この間取材に行って気づいたことがあったので書いておく。

縦軸をアウトプット、横軸をインプットとし、
それぞれの両端にエモと情報を置く。

まだ思いつきのアイデアにすぎないが、
この四つの軸をうまいこと使いこなせたらいい文章が書けるのではないか。
また、どんな原稿を書けばいいかわからないときは、この四つのどこに落としこんだらいいかを考えたら書けるのではないか。
さらに、自分の強みがわからない人も、この四つの軸を使えば、どこに自分の強みがあるか分析できるのではないか。

と思ったので、メモ代わりに書いておく。

1、エモと情報
まずエモと情報について。
エモというのは、ノリとか現場の楽しさや心の動き。
情報というのはデータのような客観的なことや歴史や証言といった事実に基づくもの。

文章を書くには、インプットとアウトプットの段階がある。
インプットは読書や映画鑑賞、取材、体験、調査など書く前段階。
アウトプットはそれをどういう表現に落とし込むかという書く段階。

通常エモと情報はアウトプットについて言われることだと思うが、
インプットにもエモいインプットと情報のインプットがある。
情報のインプットについては通常の取材論で言われることばかりなので割愛する。

エモいインプットとは、
食べて美味しかった、どこかに行って面白かったといったような体験や、
ノリよくあいづち打ったり笑いが起こったり、話が途切れないような楽しい取材、
本を読んだり映画を見たりしていかに心が動いたかというようなもの。
取材というと情報ばかり目がいきがちだが、心が動いたり盛り上がったポイントを
押さえておくのが、エモいインプットだ。

2、エモい取材
取材は情報を得るためのものだが、そこにエモの要素が入るとやりやすい。
だから、取材のうまい人はエモを適度に取り入れたり、
なんなら自ら作っていっていると思う。
エモの入れ方の方向性としては二つある。

一つは「わからない」から入るもの。
普通ライターはいろいろ調べていくけど、調べた上であえて、
「わからないんです、教えてください」みたいな感じで入ると功を奏して
「こいつ俺が面倒見たらんとなんもできへんな」みたいな感じで
丁寧に教えてくれたりすることがある。
とにかく興味がある、知りたい、教えて欲しいということを
いろんな言い方と態度で出していって、
相手に話させたくなるような雰囲気を作ること。


もう一つは「熱意」から入るもの。
「めっちゃおいしかったです」とか、「めっちゃおもしろかったです」と、
感想とか自分がどう思ったかを伝える。
そう言われて誰でも悪い気はしないだろう。
ただしそのときに、本だったら何ページのどの言葉とか、
味だったら材料とか料理法とか、そういうところまでちゃんと言葉にしたり、
相手のどこがよかったという質問に落とし込めるようにしておいた方がいい。
ただ「いいです」って言っても具体性がないと、
ただこちらがほめてるだけの取材で終わってしまう。

3.エモが苦手な人はどうするか
けど、こういうのが苦手な人もいる。
そういう人は無理にエモい取材をしなくていい。
最初と最後の挨拶とお礼を丁寧にしっかりし、
取材相手に聞こえるようにはきはき、ゆっくりめに質問すればいい。
ライターは調子が良すぎても、「ほんまに書けるんかいな」と思われてしまう。
大事なのは信頼感なので、
相手にしっかりした人という印象を伝えらればそれでOKだ。
大きい声ではきはき、ゆっくりしゃべるだけで印象が違うので、
緊張しがちな人はそこからはじめよう。

引っ込み思案とか人間慣れしていない人は、
情報の方から攻めていったらいいと思う。
熱意を伝えるのが苦手なら、相手のことをめちゃくちゃ調べるとか、
事前に下準備をめちゃくちゃする。
めちゃくちゃ熱意を込めてしゃべらなくても、資料の束を現場に持っていったり、
本にたくさんふせんが貼ってあったり、
まとめノートにびっちり書き込んであったりしたら、
もうそれで熱意は十分伝わる。
そして、無駄にペラペラしゃべらないことで、
「この人にはちゃんと答えないといけない」と思ってくれるだろう。
また、調べた資料を現場に持ってくる必要もなく、
それをうまい具合に質問に落とし込めていれば、相手もちゃんと答えてくれるはずだ。

4.エモと情報を使いこなす
最強のライターはエモと情報を使いこなせるタイプだと思うが、
仕事によったら別に全部一人でこなす必要はない。
仕事によって、エモか情報のどちらが重視されるかは変わってくる。
自分の強みとそれが生かせる仕事を探すのがポイントだろう。

どうしてもどっちかが苦手なら、チームで動くような仕事をやるという手もある。
エモが苦手でも、編集者とか発注元が取材についてきてくれる仕事なら、
その辺は編集者と発注元がやってくれるので、
無理にエモい取材をする必要はなく、粛々と話を聞けばいい。
カメラマンさんと組むような仕事なら
カメラマンさんがうまく仕切ってくれる場合もある。
自分が生かせる現場と媒体を見つけるのがコツだ。


逆は致命的だ。エモは得意だけど、情報は……
というタイプは、ライターじゃない方が向いているだろう。
ディレクターとか、調整側に回った方がそのエモさが生かせると思う。

5. ライター向きの性格はあるのか?
昔の情報誌を作ってた人の本を読んだりしたら、
編集者とかライターはエモくてなんぼみたいな空気を感じたが、
情報をきっちり取れて、いい原稿が書けるなら、
わたしはライターは別に口下手でもいいし、性格が暗くてもいいし、
人たらしでなくてもいいと思う。

エモが苦手な人はどこでもエモくしようとするからしんどいのであって、
無理に褒めたりしなくても、本当に心が動いたときだけものを言えばいい。
大事なのは、現場でノリよくふるまうことより、
それをうまく原稿に落とし込むことだ。
書いたもので判断されるのだから、アウトプットが一番大事だ。
現場で楽しい雰囲気に終わっても、肝心なことを聞いてなくて、
原稿の内容がスカスカだったら意味がない。
雰囲気に流されて大事なことを聞き漏らすよりかは、
聞かないといけないことは聞いて、必要な情報をもれなく聞けたか確認することの方が大事だ。
ちょっと冷めてるとか浮いてるくらいの人の方が、
ライターには向いているとわたしは思う。

次はアウトプットについて書いてみたいと思う。

特別企画🧣手芸ワークショップ(ズーム&対面)🧶


11/14(日) 14:00〜1時間ほど(事前予約制)

岡山の音の絵さんの手芸キットを使って縫い物をしてみましょう。

minne.com

 

参加費 音の絵さんの手芸キットをご購入ください。
持参物 裁縫道具

ご購入先は申し込み時にご案内します。購入をもって申し込み完了とします。

申し込み 

ws.formzu.net


お名前/連絡先/店内参加かズーム参加
 ※申し込み時にズームか店内参加かお選びください。
 ※ズーム参加の人にはのちほどアドレスをお送りします。店内参加の方は当日お越しください。
 ※店内での飛び入りも歓迎いたします。

特別企画📻「B面の歌を聞け」ラジオ🔈

「服と本とコーヒーの2日間」のイベントに合わせて、
前からやってみたかった、ネットラジオ番組を作ってみました。
本に登場していただいた方やzine制作者の方、全国でzineイベントを作っている方に登場いただきます。


(出演者)
タテイシナオフミさん/岩崎恵子さん/ひらすま書房 本居淳一さん/ふふふのzine よしのさくらさん・井上さん/かみのけモツレクさん

店内では無料でお聴きいただけます。
遠隔で聴きたい方には有料配信も予定しています(300円〜の投げ銭制)。
codocで300円以上の額を設定して振り込んでください。
そのあと、ツイッターのDMかメールに件名「ラジオ」とおかきの上お申し込みください。
返信で、視聴アドレスを送ります。twitter.com

当サイトの支援がおこなえます。


メールかDMの送り先

ws.formzu.net


お申し込み、お待ちしております🙇‍♀️

『B面の歌を聞け』出版イベント 服と本とコーヒーの2日間@ふうせんかずら 11/13(土)〜14(日)

手づくり雑誌『B面の歌を聞け』創刊記念イベント!
奈良の無人一箱本屋さんふうせんかずらで「服の自給を考える」に寄稿やインタビューで登場してくださった方のzineやグッズを販売します!
もりだくさんの楽しい2日間。

ゆったり楽しく本を読んだりコーヒーを飲んだり、お買い物をお楽しみください。
素敵なチラシはこもちししゃもさんのもの。

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服と本とコーヒーの2日間
11/13(土)〜14(日)
11:00〜16:00
※パジャマ以外のお支払いは現金でお願いします。

出店
ラララチャイナ/チャイナ服販売(なくなり次第終了)
岡山の「みんふ」/パジャマ試着販売会
谷みゆき/「ワンニャン大行進」グッズ販売
こもちししゃも/雑貨おじいちゃん日記販売


飲食
オケサドコーヒー/「本に合うコーヒー」販売 from佐渡


zine

佐々木ののかこもちししゃもかみのけモツレクどろん堂タテイシナオフミほか


ラジオ
店内で関係者のみなさんによるB面ラジオを放送予定。

(出演者)
タテイシナオフミさん/岩崎恵子さん/ひらすま書房 本居淳一さん/ふふふのzine よしのさくらさん・井上さん/かみのけモツレクさん

店内では無料でお聴きいただけます。
遠隔で聴きたい方には有料配信も予定しています(300円〜の投げ銭制)。
codocで300円以上の額を設定して振り込んでください。



そのあと、メールに件名「ラジオ」とおかきの上お申し込みください。
返信で、視聴アドレスを送ります。
メールの送り先はこのフォームから。

ws.formzu.net


手芸ワークショップ(ズーム&対面)
11/14(日) 14:00〜1時間ほど(事前予約制)

岡山の音の絵さんの手芸キットを使って縫い物をしてみましょう。
裁縫道具はお持ちください。


※店内での飛び入りも歓迎いたします。

参加費 音の絵さんの手芸キットをご購入ください。

ご購入先は申し込み時にご案内します。購入をもって申し込み完了とします。

申し込み 

ws.formzu.net


 ※申し込み時にズームか店内参加かお選びください。
 

物づくり作家的に本を作る(試案)

この記事で、

もしかしたらわたしがしたいのは、生活とものづくりが一体となった民芸的な本作りなのかもしれません。

と書いた。

yagakusha.hatenablog.com

これをもう少し考えてみたい。

わたしは2018年に本を出してから方向性を迷走していた。
もともと編集者や商業ライターでやっていたのが、エッセイを出したことをきっかけにクライアントワーク以外の自己表現的なことをもっとやりたいと思うようになった。
それは一種のアイデンティティのゆらぎで、それまで編集者や商業ライターで満足していたのが、満足しない感じになっていた。
ある種創作欲や制作欲の目覚めだった。
だけど、自分はなかなか書籍企画を出したり、出せても通らないということが続き、2年ほどスランプ気味だった。

私の中でいろんな気持ちが絡み合って、どうすればいいかよくわからなくなっていた。
スランプ期のモヤモヤを整理するとこんな感じだ。

1つが、制作欲や創作欲が出てきて、それをどういうふうに解消するか

2つが、ライターや編集者というクライアントワーク的に見られる肩書と自分のやりたいことの不一致
3つが、自分の作家イメージ(筆一本で食べてないといけないとか、出版社から本を出さないとダメとか、定期的に出さないとダメとかもろもろ)と自分の実情があってないことに対するイライラ


最初1の制作欲や創作欲が出てくること自体が自分が勘違いしているのではないかと思って、それを否定しようとした。
するとどんどん苦しくなってしまって、そういうことじゃないんだと気づいた。

その次に2の今の肩書を脱するために作家とか文筆家と呼ばれるようにしないといけないと思い、そのためにプロフィールをいじったり、ブランディングを凝ったりしようとしたけど、このブログに書いたようにそれもそういうことじゃないなと思った。

yagakusha.hatenablog.com


3つ目の作家イメージについても、いろんな業界の話を知るうちに、
昔の景気のいい頃の話を基準にあてはめてたのでは? と気づいた。
それから、自分の書いてみたい雑誌とか憧れの雑誌の原稿料や、
他の作家の刷り部数等の話を聞いたりしていてると、
わたしだけが難しいわけじゃないっぽいなということに気づき始めた。
だから、そのかなりかなえるのが難しいことや現実と合ってない理想を今の自分にあてはめて凹むのは不健全だと気づいた。

そして、そもそも作家的な仕事だけでやってる人はクライアントワークをしてはいけないという意識を捨てることにした。

さらに、その上でどんなアウトプットの形が適切か考えることにした。
今年の夏に久しぶりに『B面の歌を聞け』という自主制作の手づくり雑誌を出し、
かなり手ごたえがかなりあった。
この制作と販売を通じて、自分のやりたかった方向性とはこういうことでは? とあるていど整理がついた。

現在、本というのは大量生産の複製物を薄利多売することによって商売が成り立っている。
印税は本の刷り部数✖️定価✖️10%のことが多い
(そうじゃない条件も多々あるがわかりやすくするため、単純化して話を進める)。
例えば、1000円の本を3000部出せば
1000円✖️3000部✖️10%=30万円だ。

しかし、同じ本を同じ値段で自分で作って売っても同じくらいの額になる。
しかも部数は300部でいい。
1000円✖️300部=30万円

もちろんこの場合製作費や郵送費、本屋に卸す卸値はもう少し安いので、実際に手元に残るお金はもう少し少なくなるわけだが。
それらを回収しようと思ったら500部くらい売ればいい。
3000部を一人で売るのはしんどいが、500部はなんとかなりそうだ。

出版社に企画を通すには、編集者と打ち合わせして、その上で企画会議にはかって、いろいろ調整があってと、たくさんの工程がある。
もちろんそれがあるから信頼できるものになるわけだが、そのせいで伝えたいことが薄まる可能性もある。

わたしの場合、企画はニッチすぎるとか、読者がいないのでは?
というパターンで通らないことが多かった。
3000部も売れないから企画が通らないすると、もっと届ける人数を小さくすればいいのではないかと気づいた。

また、自分が作りたいものが創作ではなく、生活についてのインタビュー、エッセイなどどちらかというと実用よりの内容ということもあって、編集さえ自分でできれば、
出版社を通さなくても作れる内容であることも大きかった。
おそらく、小説、翻訳、ノンフィクションやジャーナリズムの場合は、権利関係や賞を取ってないと売れにくいとか、裁判になったときのリスクを考えて出版社から出す必要があるだろう。

すると、わたしは無理に出版社から出さなくても、自分で作って製作費を回収できる規模で回していけばいいのでは? と気づいた。
もし余裕があれば、個人で編集者を雇い、自分の文章を編集してもらえば、内容についての担保もできるだろう。

そして、これ一本で生計を立てなくていいと思えば、無理に出版点数を増やさなくていい。
また、点数を抑えれば無理にいろんなところでフェアをやったり、営業したり、イベントをたくさんやる必要もない。
たとえば今、貸し棚で自分の本を売れる場所が増えてきている。
こういう場所を出版のたびに借りてイベントなりフェアをすればいいだろう。

ここまで考えてふと気づいた。
これは同じ作家でも、美術作家や物づくり作家のやり方ではないかと思ったのだ。
美術作家や物づくり作家というのは、作品ができたら、個展をやって展示をして見てもらったり買ってもらったりする。
その作品は一点ものに近くて、それを無理に量産したりすることはない。
そして、それだけで生活している人もいるけど、そうじゃない人も多く、
ものを見て作家として判断し、いちいちどのように生計を立てているかと関連づけて考える人は少ないだろう。

自分にとっては制作物が薄利多売の複製物である本という形をとっていたから、
これまでの物書きとしての作家イメージにひきずられていたけど、
自分のやってることが美術作家や物づくり作家に近いことなんだと気づいたら、
ものすごく腑に落ちた。

すると今まで自分が出版社との取引、知名度、大手書店とのコネ、作品数などがなくてダメだと思っていたが、物づくり作家方向で自分の採算の取れる範囲で作って売っていけばいいのだと気づいて今までの世界観がひっくり返った。

また、書店側にとってもこれは悪い話ではないと思った。
書店はいろいろ条件があるが仕入れの2割が本屋の取り分だということが多い。
でも、自分で作ったらそれをもっといい条件にすることもできる。
もしわたしが利益率もよくて売れるものが作れるとしたら、一人でも十分に大量生産薄利多売としての出版でやっている人たちと勝負ができるのではないかと思った。

では、わたしのこの活動をどのように名付けたらいいのだろうか?
正直zineは違うだろう。
なぜならzineは小部数、非営利ということが言われているからだ。
また、内容も手書きやそのまま殴り書きしたような勢いあるものが多い。
わたしはもうちょっと取材したり、文章も練ったりしたい。
じゃあひとり出版社だろうか。しかしひとり出版社というのは、人の本を作るから基本編集者だ。それに刷ってる部数も多い。

海外にはこのような小規模な出版物を指すのに、マイクロパブリッシングという言葉がある。
なのでわたしのやっていることはマイクロパブリッシングで、
自分の意識としては物づくり作家ということになるだろう。
しばらくこの方向性で自分の出版活動をやってみようと思う。

 

A面とB面の使い分け

前に出した手づくり雑誌のタイトルが『B面の歌を聞け』なんだけど、わりとこのA面とB面って使い勝手がいいなと思った。

10年くらい前にやってたブログで記事のタイトルに、A面とB面とつけていたことがあった。A面では仕事のことを書いて、B面では自分の心情を吐露するようなことを書いていた。

ブログを人に見てもらいたい気持ちと、でも、仕事関係の人に自分のモヤモヤした気持ちとかプライベートなことまで知られたくない気持ちがあって、ブログを分けたらいいんだろうけど、なんとなくそれはいやだった。

だから、A面とB面とつけておくことで、仕事関係のお知らせだけ知りたい人はA面だけチェックしてもらおうと思ったのだ。
実際にはB面も見られていたと思うけど、こちらからチャンネルをあらかじめ分けておくことで、見ないこともできますからと提示しておきたかったのだと思う。

でも結局そのあとFacebookとかTwitterやり始めると、人間関係がごっちゃになって、結構内面やプライベートがダダ漏れになってしまった。
もちろんうまく公開範囲とかサブ垢を使い分けて、そういうのがダダ漏れにならないようにもできたんだろうけど、自分はそこまで使いこなせなかった。

そういうのを10年くらいやってきたけど、自分はそういうプライベートと公的発言がごっちゃになった空間とか、そこでのふるまいや作法に疲れたなと思った。
それでFacebookとかTwitterを使う時間を減らそうとしたり、アカウント消してみたり、鍵をかけたり、いろいろと使い方を試してみた。

最近、夜学舎のTwitterアカウントを作った。
そしたら気分がだいぶマシになった。
何がしんどかったんだろうと考えてみたら、たぶん自分の生活がA面に侵食される感じが嫌だったんだなと気づいた。

FacebookTwitterも仕事とプライベートがごっちゃになって仕事の発信もしてる中で、プライベートがどんどん仕事の人間関係と混じって、境がなくなってく感じ、あるいはその逆がいやだった。

そこをうまく切り分けたりできる人や、プライベートの人脈を仕事にうまい感じで生かせる人もいるだろうけど、私は自分があんまり人間関係が得意じゃないとか、仕事のシュッとした感じを長く保てないこともあって、結構苦痛だった。
それに、人といることが活力になるタイプと、人といることが疲れるタイプとがいるとしたら、私は後者だ。そのくせインターネットで人とつながり続けていたから疲れたんだと思う。

そういうインターネットの使い方をしていると、仕事じゃないのに、常に人間関係で悩んでいるような状態や、人からどうみられるか気にする状態が続いて、とくに一つのアカウントの発言やふるまいがわたしの全人格と見られるかもというプレッシャーを必要以上に感じていた。
そのせいでネットを見ると休みでも気が抜けなかったり、気が滅入ったり、イライラしたしたりした。その上、インターネット上での人間関係のトラブルも増えてきて、どうにかしたかった。

でも、夜学舎のTwitterアカウントを作ったことで、この活動は自分のB面って思えたら、自分を全部Twitterに託してない感じが持てて、すごく気持ちが楽になった。
それまであんまりたくさんアカウントを作るのはどうなんだろうと思っていたけど、逆にアカウントが増えたことで管理がめんどくさくなって、手持ち無沙汰にTwitterを見たり不用意につぶやくことが減った。
アカウントが増えたことで、逆にTwitter見る時間が減って意外だった。

前はいいね一つするのも、ここでいいねしてなんか言われたらどうしようとか、なんか思われたらどうしようとか思ったり、周りがハッシュタグデモをしていたら自分も参加しないとみたいな圧を感じてしんどくなったりしていた。
けど、アカウントを分けたことで、フォローする相手が違えば世界が全然違って見えることがわかったし、一つの世界だけじゃないとわかると必要以上に圧を感じすぎなくなったおかげで、ちょっとインターネットの世界を突き放して見られるようになった。

なんていうかこの10年くらい、インターネットで”発信”力を身につけようとか、自分の好きなことを”発信”して仕事にしようという風潮が加速している感じがして、私もそれに乗らなきゃみたいな気持ちがあった。

どうも、そういう風潮に自分のB面の切り売りというか、B面をA面に明け渡すみたいな感じとか、A面がB面に乗っ取られてずっとA面で生きてかないといけないような感じがして、息苦しさを感じてちょっとモヤモヤしていた。

けど、もう一個アカウントを作ったことで、もう少し引いて見られるようになった。自分のもう一面があることで、自分はそのアカウント全部じゃないと思えるし、全部を一つのアカウントで言わなくていいようになって気が楽になった。

これまではB面が本当の私で、それを隠さず生きるのが素晴らしいことだとか、自分らしい生き方なんだと思っていた。でもどっちか一面で生きるとか、どっちかを捨てるとかそういうことじゃないんだとわかった。A面とB面は使い分けなんだと思う。

西武の堤清二辻井喬で詩を書いていたのとか、社会学者の見田宗介真木悠介でエッセイや研究以外の仕事を発表している感じって、もしかしたらこんなのかもしれない。
だから、私もこれからうまい感じでA面とB面を使い分けてやっていきたい。

webshopはこちら→https://yagakusha.thebase.in/