夜学舎

太田明日香の本を出すレーベルです

A面とB面の使い分け

前に出した手づくり雑誌のタイトルが『B面の歌を聞け』なんだけど、わりとこのA面とB面って使い勝手がいいなと思った。

10年くらい前にやってたブログで記事のタイトルに、A面とB面とつけていたことがあった。A面では仕事のことを書いて、B面では自分の心情を吐露するようなことを書いていた。

ブログを人に見てもらいたい気持ちと、でも、仕事関係の人に自分のモヤモヤした気持ちとかプライベートなことまで知られたくない気持ちがあって、ブログを分けたらいいんだろうけど、なんとなくそれはいやだった。

だから、A面とB面とつけておくことで、仕事関係のお知らせだけ知りたい人はA面だけチェックしてもらおうと思ったのだ。
実際にはB面も見られていたと思うけど、こちらからチャンネルをあらかじめ分けておくことで、見ないこともできますからと提示しておきたかったのだと思う。

でも結局そのあとFacebookとかTwitterやり始めると、人間関係がごっちゃになって、結構内面やプライベートがダダ漏れになってしまった。
もちろんうまく公開範囲とかサブ垢を使い分けて、そういうのがダダ漏れにならないようにもできたんだろうけど、自分はそこまで使いこなせなかった。

そういうのを10年くらいやってきたけど、自分はそういうプライベートと公的発言がごっちゃになった空間とか、そこでのふるまいや作法に疲れたなと思った。
それでFacebookとかTwitterを使う時間を減らそうとしたり、アカウント消してみたり、鍵をかけたり、いろいろと使い方を試してみた。

最近、夜学舎のTwitterアカウントを作った。
そしたら気分がだいぶマシになった。
何がしんどかったんだろうと考えてみたら、たぶん自分の生活がA面に侵食される感じが嫌だったんだなと気づいた。

FacebookTwitterも仕事とプライベートがごっちゃになって仕事の発信もしてる中で、プライベートがどんどん仕事の人間関係と混じって、境がなくなってく感じ、あるいはその逆がいやだった。

そこをうまく切り分けたりできる人や、プライベートの人脈を仕事にうまい感じで生かせる人もいるだろうけど、私は自分があんまり人間関係が得意じゃないとか、仕事のシュッとした感じを長く保てないこともあって、結構苦痛だった。
それに、人といることが活力になるタイプと、人といることが疲れるタイプとがいるとしたら、私は後者だ。そのくせインターネットで人とつながり続けていたから疲れたんだと思う。

そういうインターネットの使い方をしていると、仕事じゃないのに、常に人間関係で悩んでいるような状態や、人からどうみられるか気にする状態が続いて、とくに一つのアカウントの発言やふるまいがわたしの全人格と見られるかもというプレッシャーを必要以上に感じていた。
そのせいでネットを見ると休みでも気が抜けなかったり、気が滅入ったり、イライラしたしたりした。その上、インターネット上での人間関係のトラブルも増えてきて、どうにかしたかった。

でも、夜学舎のTwitterアカウントを作ったことで、この活動は自分のB面って思えたら、自分を全部Twitterに託してない感じが持てて、すごく気持ちが楽になった。
それまであんまりたくさんアカウントを作るのはどうなんだろうと思っていたけど、逆にアカウントが増えたことで管理がめんどくさくなって、手持ち無沙汰にTwitterを見たり不用意につぶやくことが減った。
アカウントが増えたことで、逆にTwitter見る時間が減って意外だった。

前はいいね一つするのも、ここでいいねしてなんか言われたらどうしようとか、なんか思われたらどうしようとか思ったり、周りがハッシュタグデモをしていたら自分も参加しないとみたいな圧を感じてしんどくなったりしていた。
けど、アカウントを分けたことで、フォローする相手が違えば世界が全然違って見えることがわかったし、一つの世界だけじゃないとわかると必要以上に圧を感じすぎなくなったおかげで、ちょっとインターネットの世界を突き放して見られるようになった。

なんていうかこの10年くらい、インターネットで”発信”力を身につけようとか、自分の好きなことを”発信”して仕事にしようという風潮が加速している感じがして、私もそれに乗らなきゃみたいな気持ちがあった。

どうも、そういう風潮に自分のB面の切り売りというか、B面をA面に明け渡すみたいな感じとか、A面がB面に乗っ取られてずっとA面で生きてかないといけないような感じがして、息苦しさを感じてちょっとモヤモヤしていた。

けど、もう一個アカウントを作ったことで、もう少し引いて見られるようになった。自分のもう一面があることで、自分はそのアカウント全部じゃないと思えるし、全部を一つのアカウントで言わなくていいようになって気が楽になった。

これまではB面が本当の私で、それを隠さず生きるのが素晴らしいことだとか、自分らしい生き方なんだと思っていた。でもどっちか一面で生きるとか、どっちかを捨てるとかそういうことじゃないんだとわかった。A面とB面は使い分けなんだと思う。

西武の堤清二辻井喬で詩を書いていたのとか、社会学者の見田宗介真木悠介でエッセイや研究以外の仕事を発表している感じって、もしかしたらこんなのかもしれない。
だから、私もこれからうまい感じでA面とB面を使い分けてやっていきたい。

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